思い出1私自身が忘れたくないことなので、いつか書こう!と思ってたことを書くページを作ってみました。 もっともっと思い出が新鮮なうちに書きたかった事たち、 書けるだけ書いてみよう 青春時代に大きな挫折感をおって、自分に自信がもてなくて喪失的な日々を過ごしていた。 仕事や何かをしているときはいいけれど、その何かと何かの合間にゆっくり考えられすぎる時間が空くのがつらかった。 その時間にはいろんな不安を抱えて考え込みすぎて、ひどく激しい絶望感におしつぶさて・・・。 どうしたらそういう場所から抜け出せるのかと苦しんでいるときに職場の関係者にトライアスロンの話を聞いた。 少し聞いたことはあったスポーツだったけど、どんなものかはよくわかってなかった。 それまでは、多大な時間を走るだけに費やすなんて、なんて時間の無駄なことをするんだろうって思っていたから。 でも近くにものすごくトライアスロンに熱中している人がいたおかげで少し興味を持って、実際その人に会せてもらっていろいろ見聞きしている時に知ったのが、宮古島の大会のことだった。その人に連れて行ってもらって自転車屋さんの主宰するトライアスロンチームの練習に行くようになった いろんな大変な仕事をしながら、3キロ泳いで、155キロ自転車に乗って、42.195キロ走るという考えられない距離を走る人たちが何人もいるってことを知った。 そんなすごい距離を走りきることができたら、私も自信を持つことができるって思えるかもしれない。とおもった。 1994年のころは宮古島のトライアスロンはものすごく人気のレースで、出場権を得るためにある程度の実績が必要だった。やりたいとなったら、お金を払ってエントリーして、すぐに走れるものではなかった。 まずは出場権を得るためにいくつか短いレースに出ることから始めた。 実際問題こういうレースを走っておかないと、宮古島のようなロングのレースには出られない。 そして思ったより早く実績を作ることができて、1996年の出場権をえた。 宮古島の出場権の通知は前の年のクリスマスの頃に来る。 チームで宮古島を狙っている人は、クリスマスのころはその話題で盛り上がったものだったなぁ~~。 自分に自信のない私に彼氏のできるわけもなかったので、このクリスマスプレゼントは本当に本当にうれしいクリスマスプレゼントだった。 クリスマスに合格通知が来ると、一気にもうお正月気分とかはなくなって4月に行われるレースに備えて激しいトレーニングとなる。 宮古島は一番寒い時期に走り込みが必要で、その意味では過酷なレースだった。 長い距離を走るためのトレーニングは、やはり長い距離の走りこみや泳ぎこみが必要になるので、トレーニングは時間との勝負だった。 早朝の泳ぎこみをしたり、仕事の合間や通勤をランニングにした。 一番大変なのは自転車の練習だった。都内の混んでいて平たんな道では宮古島 を約2周、海沿いのアップダウンのや海風のある道を走り切るためのトレーニングはできなので、仕事が休みの日には、車がまだ少ない5時くらいから、甲州街道や多摩川沿いのサイクリングロードを延々と西に漕いで奥多摩や高尾山や相模湖あたりまで乗りに行って 最後は大坂を一つか二つ上って帰るというバイクトレーニングをした。 昼過ぎに帰ってくると往復で150キロから170キロくらいのっていた。 今考えると過酷だけれど目標もあったし、始めてみたら長距離のトレーニングは私の性に合っていたので結構楽しんでやっていた。 一番良かったのはそれまでの喪失と絶望を埋めるために食べ物に走っていた私はかなりの肥満体だったのだが、有酸素運動の連続のおかげですっかり20Kほどの体重を落とすことができた。太っていることが自信を亡くす一要因にもなっていたので、いい循環が始まってきていた。 2に続く ジャンル別一覧
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